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日常のキリトリ 毎日更新 のよてい

8/6広島原爆の日

8/6

この日は広島原爆の日

 

この日、私は1人で原爆ドームへ足を運んでみました。

私は佐賀県生まれで、隣の県が長崎県ということで、私にとっての原爆の日は8月9日のイメージが強いです。小さい頃から平和集会がこの日に開かれ、原爆の映画を見たり、鶴を追ったりしていました。

 

しかし、実はそれらへの参加に対する強いおもいはあまりなく、どちらかというと義務感の方が大きかったなと当時を振り返って思います。

 

そこで、どんな人がどういう思いで記念式典に参加しているかを実際に見てみよう、聞いてみようと思い、足を運びました。

 

 私が到着したのは 記念式典が終わってからしばらくたった時間帯でしたが、喪服に身を包んだ人々の姿がたくさんありました。

 

そして、広場へ足を踏み入れた瞬間、

 

静かに、だけど確かに、

 

重みのある雰囲気が感じられ、私はぞくっとしました。

 

これが、被害のあった当事者ならぬ当事県の、原爆の日

 

私たちも今まで8/6と8/9、8/15に集い、平和を祈ってきました。

だけど、そこに吹く風の重さが全然ちがう。こんなにも違うものかと唖然としました。

そして、同時に自分が今まで義務感で捧げた祈りを恥じました。

 

気づいたら、涙が出ていました。

 

 

そのあと、原爆ドームをたまたま見ていた隣の方に話しかけてみました。

その方は、今年80歳で、当時は6歳。

「こんな建物は残らなくてよかった。いくら建物がなくなったっていい。人の命だけが残っていればよかったのに。」

両親を亡くしたことをはなしてくれました。

 

当時のことは、いくら原爆ドームを見たところで伝わらない、そう思うとなんだか空虚なものに見えて、なにを見ているんだろうという気分になりました。このまわりは綺麗に修復され、今じゃ面影もないほど緑豊かで綺麗な街並みになっています。原爆を落とした国の人が今来たって、過去についた傷跡はこの原爆ドームしかないのだから、もしかしたら、大したことなかったのかもという印象を持たれてしまうかもしれません。戦争の被害のイメージがせまくなるかもしれません。しかし、当事者はこのドームを見て逆にありありと当時の情景が広がります。

もしかしたら、原爆ドームはとても皮肉めいた存在なのかもしれないと考えました。

 

こうやって、恥ずかしながら初めて真剣に「平和」について考えました。

よく平和集会で歌っていた歌で、

 

青い空は 青いままで  子供らに伝えたい

 

と言う歌詞があります。

 

 

 

空が黒だったことなんて、誰も知らない

誰も黒になんてなり得ることを知らない

 

 

 

そんな日が来ることを願います。