何をもって”幸せ”なのか
毎週火曜日12:50からは、私の大好きな哲学の授業の日です。毎回様々な論文を読み、それについて議論をします。
ここ何週間かは、障害と哲学について。今日は、そこから少し派生して、何をもって幸福とするのかについての考え方の紹介があり、私はそれに興味を持ちました。
まず今現在あるのは、
①hedonism→幸福は快楽か苦痛かによるもので、快楽を感じるものやことなら幸福な状態だとみなされるという考え方
②desire-satisfaction theory→幸福は個人が何を求めているかによって決まるもので、その人の欲求を満たしているならば幸福な状態だとみなされる考え方。
③objective list theory→何が幸せか、何が不幸かはあらかじめ決まっていて、本人がどう感じていようが幸せだとされている状況ならば幸せで、そうでないならば不幸だとする考え方
が主な考え。
これを受けて私は、自分は何をもってしあわせとしてるんだろうと考えました。
最初、この中だったら②が近いなと思いました。なぜなら、私は今まで好きだと思うことをやってきたからです。だけど、それがしあわせだと感じられていたのは、同時に褒められたり認められたりすることで快楽とつながっていたからではないのか、と思いました。また、やりたいことをやっていても、時には苦痛になるときだってあります。
そう考えると、「幸せ」の定義はこんなにきっぱりと分けられるものではなく、もっと複合的なんだろうなあ、と思います。そうじゃなければ、気を病んだりしないですよね(笑)
…たまに、私はしあわせを感じていいのかな、と思うことがありますが(理由があるのですが)、この話はまたいつか。
人の数だけ幸せの形があって、あたりまえ。どの定義があっているかではなく、それを定義づけていることこそが一番の論争点ではないかなと思いました。
ちなみに、私は「幸せ」という文字より「しあわせ」という文字が好きです。だからこのブログでも自分についての時はひらがなで表し、自分がこの言葉を発する時もひらがなのほうをイメージして言っています。やわらかくってすべてを包み込むような温かい雰囲気のこの言葉、私は大好きです。私の周りの人がみんなこの感情で満たされてほしいなあ。そして私にもおすそわけしてください(笑)
それでは、また明日。